『花の降る午後』宮本輝-花四季

ふるさと・文学散歩

       『花の降る午後』宮本輝著

1.作家紹介

(1) <川>の作家

(参考文献:『泥の河』『道頓堀川』角川文庫、『宮本輝 宿命のカタルシス』EDI学術選書)

 川三部作『泥の河』『螢川』『道頓堀川』は宮本輝が<川>の作家と言われる原風景であり、彼の考え方を知る上で重要であり、原点であり、現在であり、未来だと思う。
 また3作品とも河口に近い河がイメージされているのに、『泥の河』を例にとって話すが、「川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮らしているとは思っていない」「その周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった」満潮のときに潮の匂いが漂うと、海が近くにあることを意識するのだった、と海は舞台にはならない。それは、逆に十分“海”を意識しており、海とはこの作家が追求する“しあわせとは何か?”象徴している。三部作は、“しあわせ”を求めて漂い、澱む人びとの物語であり、まだ“しあわせ”には辿り着けないでいる。なお、この三部作は何回も書き直されて現在の作品が出来ていることを申し添えておきたい。対談集『道行く人たちと』の中で、宮本輝は川三部作の主人公は全部が全部そうではないが、精神風土の上では、分身であることは認めている。

@泥の河

 1977年第13回太宰治賞を受賞した『泥の河』は宮本輝が幼き日を過ごした堂島川と土佐堀川が合流して安治川となるあたりを舞台に少年の視点で書かれた切ない物語である。当時の川は「藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れる」「黄土色の川」だった。合流部には3つの橋が架かっていた。「昭和橋と端建蔵橋、それに舟津橋である」
その端建蔵橋のたもとの“うどん屋”が主人公信雄の家である。そこは信雄の家族も含めてその時代、世の中から吹き寄せられ流れてきた人びとの漂流先でもあった。台風が襲来する前日上流から漂い引っ越してきて、信雄と友だちとなる喜一少年の家は川に浮かぶ艀であり、母と姉が春をひさぐ廓船である。舟を訪れた信雄は喜一の宝だという蟹の巣を見せられる。暗くて見えない舟の至る所で蟹が這う音を聞く。そして、ベニヤ板の向こうの隣の部屋からも聞こえ、「花火が夜空にあがっていく音にも似ていたし、誰かが啜り泣いているような音にも思えた」
 喜一は生きた蟹を灯油に浸し、火を付け、「燃え尽きる時、細かい火花が蟹の中から弾け飛んだ。それは地面に落ちた線香花火の雫に似ていた」蟹の炎を追って信雄は、喜一の母親の情交の現場を見てしまう。蟹の焔は男の背中に這い登り、「青い斑状の焔に覆われた」背中は喜一の母親の上で波打っていた。この焔は人間の業を表現している。そして、表題『泥の河』の泥とイメージがだぶる。
 信雄と喜一、ふたりの少年の儚い交遊を描いたこの作品は少年の純粋な性に対する思いを砕き、そして成長していく過程を描いた小説である。作品の冒頭、長い間苦労してようやくトラックを買おうとしていた馬引きの老人の「すか」みたいな死により、この物語における時代、場所や背景が暗示され手いる。
 やがて「きっちやん、きっちやん、きっちやん」と信雄が呼んでも喜一から何の応答もなく曳かれていく舟が姿を消すことにより、少年たちははかなく別れ、信雄たちは新潟へ引っ越し、安治川のほとりから去る。
 また、『泥の河』では、台風が襲来し、「降りしきる雨」の中の端建蔵橋の上で、「信雄の身の丈程」「鱗の一枚一枚が淡い紅色でふちどられ、丸く太った体の底から、何やら怪しい光を放っているようだった」とお化け鯉が姿を現す。そしてこの物語の終わりにも、信雄は曳かれていく廓船の後を追うように「そのあとをぴったりくっついたまま、泥まみれの河を悠揚と泳いでいくお化け鯉を」見る。
「このお化け鯉は貧しさや自堕落さや死や宿命を暗示しているのではないか」という説もあるが、この鯉が川の主であり、ふたりの少年の出会いと別れに現れていることから、どちらかというと貧しさとか自堕落さとか死などの暗示としてはしっくりしない。むしろ大きな時代の流れやこれから流れゆく運命を先導しているように思えてならない。その意味で“宿命”や“人間の業”といったようなものを象徴しているのではないか。

A螢川(いたち川)
 1977年この『螢川』第78回芥川賞を受賞した。主人公竜夫は中学三年生とその母、千代である。これは『泥の河』の主人公信雄が成長した姿と母貞子であり、新潟が富山に変わったのではないかと思う。これも宮本輝の重なる部分が多い。
 この作品は「雪」「桜」「蛍」の3章からなる。「一年が終わると、あたかも冬こそすべてであったように思われる。土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の余韻だった。春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた」というように、章を追って季節は移ろい、すべての章(季節)に『死』と向き合って雪が降り、桜が降り、蛍が舞い降る物語である。

この物語も「雪」の章で「……もう、わしをあてにするな」と父重竜の死を暗示する。重竜と母千代の思い出もすべて雪とともに語られる。
 また、竜夫は銀蔵と小学4年生の時から約束していた。「四月に大雪が降ったら、その年こそ蛍狩りに行こう」と。そして思春期故に口もきかなくなった幼なじみの英子とも、そんな年があったら、と約束をしていた。
 その年四月に大雪が降った。 初夏に重竜は死んだ。母千代は「これから」をどうするか、考えあぐねていた。兄喜三郎から大阪に来るように言われている。「人里離れた夜道をここからさらに千五百歩進んで、もし蛍が出なかったら、引き返そう。そして自分もまた富山に残り、賄い婦をして息子を育てて行こう。だがもし蛍の大群に遭遇したら、その時は喜三郎の言うように大阪へ行こう」と、遭遇出来るか分からない蛍の乱舞に「これからの行末」を賭けた。 蛍の大群が乱舞する場所を知っている銀蔵の先導で、竜夫、英子、千代はただ歩いた。
「その道を曲がりきり、月光が弾け散る川面を眼下に見た瞬間、四人は声もたてずその場に金縛りになった」「蛍の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の紛状となって舞いあがっていた」「……交尾しとるがや。また次の蛍を生みよるがや」竜夫は止める英子も誘って川原に降りた。「夥しい光の粒がまとわりついて」、英子の「白い肌が光りながらぼっと浮かびあがった」「見当もつかない何万何千もの蛍たちは、じつはいま英子の体の奥深くから絶え間なく生み出されているもののように竜夫には思われてくるのだった」
 銀蔵は「……これでおわりじゃあ」と自分の死を予感し、「千代も、確かに何かが終わったような気がした」千代は三味線のつま弾きを聞き、その音はいつまでも消えなかった。そして最後は「風がやみ、再び静寂の戻った窪地の底に、蛍の綾なす妖光が、人間の形で立っていた」で終わる。
 私はこの作家が織りなす繊細な感性に裏打ちされた鋭利で緊密な抒情が好きだ。憧れた。模倣した。しかし、未だにその足下にも到達していない。これからも精進したい。

B道頓堀川
 1981年刊行された『道頓堀川』は大学卒業をひかえた青年邦彦が主人公であり、川は、時は、流れて、また舞台も大阪に戻る。道頓堀川は当時、安治川やいたち川と同じように、大阪の歓楽街を流れる泥の川であった。
 この川は「あぶくこそ湧くことはないが、殆ど流れのない、粘りつくような光沢を放つ腐った運河」なのだ。「陽の明るいうちは、それは墨汁のような色をたたえてねっとりと淀む巨大な泥溝である」「夜、幾つかの色あざやかな光彩我その周りに林立するとき、川は実像から無数の生あるものを奪い取る黯い鏡と化してしまう」
 この物語は『蛍川』と同じようにふたりの主人公がいる。天涯孤独の邦彦と彼が住み込みで働く喫茶店リバーの経営者竹内である。竹内はかってビリヤードの名手だった。邦彦は大学卒業とともにこの猥雑なそれでいて懐かしい街を巣立って行かなければならないが、就職もなかなか決まらない。人の愛人である小料理屋の女将まちこと深い関係になっていく。そしてこの川のほとりから脱出出来ないでいる。また竹内は妻鈴子が子供とともに無名な画家と駆け落ちした過去があり、復縁したもの暴力をふるい、体調を崩した鈴子が死んだことがどうしても忘れられない。また一緒に出ていった息子の政夫も許すことが出来ないでいる。道頓堀川には多彩な人びとが出てくるが彼は同じ舟に乗り合わせ流れていく人たちである。そして作品の冒頭と終わりに出てくる三本足の犬小太郎は、足り名ものを持った人びとを象徴しており、『泥の河』の鯉と同じように“宿命や人間の業”を表現しているのかもしれない。
 さて、鈴子が一緒に逃げた画家杉山は、道頓堀川を眺めながら、「見えない海を一心に描き続ける画家だった。戻ってきた鈴子がたったひとつほしいとねだったのは青いギヤマンの水差しで会った。その青は杉山の描く海の色と同じだと知った竹内の心の内はいかばかりであろうか?
 それでも川は流れていく。悲しみや宿命や業等どうしようもないたくさんの心とともに!

(2)<触発>の作家→エッセイ集『生きものたちの部屋』から
 宮本輝の心を触発する机の周りにはガラクタ。何らかの点火物がないかぎり永遠にガラクタのままだ。
@一枚の写真や絵画から

 エッセイ集『生きものたちの部屋』の中で宮本輝は小説を書き始めるきっかけとして、「小説を書きだしたころ、私を触発したものは、ほとんど<風景>であった」「ひとつの風景に魅せられると、私はそれを核として一編の小説を創りあげることができた。
「川三部作」も、『幻の光』『錦繍』も、固定して動かないたった一枚の絵とか写真によって、私のなかで形をとり始め、やがて動きだし、言葉としてつづられていったものである」
『花の降る午後』も『愉楽の園』も、『西瓜トラック』も同じである。『花の降る午後』と『愉楽の園』はスペインの首都マドリードのプラド美術館にあるヒエロニームス・ボッシュの<愉楽の園>である。
 すぐれた絵を観ると、その画家の才能や修練や精神に感嘆する。絵を題材とした物語、若い無名の画家物語は、『星々の悲しみ』『海辺の扉』などもある。

A表題から

 いい題が決まれば、小説はほとんど完成したと同じだ。私は<題>が決まらなければ、どんな小説も一行も書けない。何気なく題だけ思いついて、それで書けた小説もたくさんある。『星々の悲しみ』『五千回の生死』『海岸列車』……。

(3) <文具類に魅せられた>作家→エッセイ集『生きものたちの部屋』から

@書斎に置くものはどこか背後に太陽の気配が漂うものに絞られてきた。
A絵具48色のクレオン・25本の丸いガラス瓶に入れられた日本畫用の絵の具などは、人間が創り上げたもので画家も染色家も、それを独自に混ぜ合わせたり重ね合わせたりして、現実から離れた世界に橋渡しをする。→すると、自分もまた言葉や文字という限られた<道具>を混ぜたり重ねたり、あるいは薄めたりしていい小説を書けるはずと思っている。
Bインクと万年筆→シエーファーの太字用万年筆→モンブラン→ペリカンの極太用を10本買った。→やさしいコンクリン
C腕時計マニア→道楽は時計の収集→もう買わない。腕時計なんて7個あれば、十分だ。→そう思う矢先もうほしくてほしくてたまらなくなっている。
D地球儀→仕事が捗らないとき、空想に浸る。 
                                                                   
(4)<酒>の作家→エッセイ集『生きものたちの部屋』から

 ・宮本輝の父も母も酒が好きだったせいか、彼は小さいときから酒を飲んだ。
 ・本当に酒が好きだあ。自分の酒の飲み方を知っていた。
 ・酒を飲んでいるとき、酒が囁き続けることが多くて、ふいに飛び交う言葉をとにかく闇雲に書き付けたくなる。
 ・この頃の宮本輝の酒は「なんだか、錐か槍でも突き刺すみたいな飲み方ですよ。見てると、大丈夫かなァって心配してしまいますよ」という。
 ・1957年頃、宮本輝が10歳の頃、母は46歳で大阪から富山に移り住む前後の、母がはっきりアルコール中毒の症状を呈し始めていた。


(5)芥川賞を受賞するまでの年譜→「宮本輝・宿命のカタルシス」より
 1947年(S22)3月6日神戸市生まれ。父熊市、母雪恵の長男。以後父の仕事の都合で、愛媛、大阪、富山、尼崎等、転てんと住居を変える。
 1960年(S35)井上靖『あすなろ物語』を読む。初めて大人の小説だった。
 1965(S40)高校卒業。浪人。中之島図書館でフランス文学、ロシア文学を読みふける。
 1966年(S41)追手門学院大学に入学。テニスに夢中になる。
 1969年(S44)父熊市死去。手当たり次第にアルバイトをする。
 1970年(S45)大学卒業。サンケイ広告社へ入社。企画制作部。
 1972年(S47)このころから不安神経症。大山妙子と結婚。

 1974年(S49)勤務のかたわら小説を書き始める。
 1975年(S50)勤務先の広告代理店を退社。同人誌「我が仲間」に参加。

 1977年(S52)「泥の河」第13回太宰治賞受賞。
 1978年(S53)「蛍川」で第78回芥川賞受賞。初の単行本「蛍川」を刊行。

.『花の降る午後』の梗概(引用文献:『花の降る午後』角川文庫)

(1)新聞小説と幸福物語
 この小説は新聞小説として連載されたものである。文庫本の作者の「あとがき」にもあるように当初は「この小説を透かして、一枚のコインの表裏がいとも簡単にあらわれ出ること、しかも転がって停まったコインは、裏か表のどちらかしか見せないという現実を物語化する点でした」これは運命とか宿命とかをテーマにしたいと思っていたのではないか。しかし書き進むうちに「作者の気まぐれのお陰で何人かの登場人物の<幸福物語として幕をおろします」この作品は非常にわかりやすい女性向けのエンタテインメント小説である。

(2)女のしあわせ物語
『花の降る午後』は宮本輝がエッセイ集『二十歳の火影』で宣言しているように人間にとってしあわせとは何かをテーマにした小説であろう。そしてたぶんしあわせは小説のなかだけしか存在しないだろう。主人公典子は売れていないが、才能のある画家高見雅道との恋を失いたくなくて、その現在のしあわせを存続させることがしあわせになることだと思っているようだ。幸福はこの物語の中でしかなく、私たちは物語を読む間、せめて幸福に浸る。

(3)あらすじ
 愛する夫を癌で失ったあと四年間、神戸・北野町のフランス料理店「アヴィニョン」を懸命に守って生きる美しい甲斐典子は、てきぱきと仕事もこなせるようになるがふと、そうした充足感とは別に時折、「アヴィニョン」の二階にある自室で、ワインを飲みながら、「決して他人には喋れない」満たされない性の「夢想にひととき遊ぶ」、心をけだるくさせる午後の日もあった。そして、「あしたもあさっても、同じような午後が訪れ、そうやって歳を取っていくのだろうか」と昼下がりのまどろみに落ちる前、決まって典子はそんな思いに辿り着く。
 夫の最後をともに過ごした伊勢英虞湾沿いの喫茶店で買い、典子に残していった絵「白い家」をきっかけに、若くて売れない画家の高見雅道と知り合い恋に落ちる。そしてその絵の裏には、夫義直が死の間際に残した他の女との隠し子の存在の可能性を告白した手紙が発見されるなど、典子を悩ませ、また密かに消息を探させたりする。
 また、典子は「アヴィニョン」の隣の毛皮商でドイツ人リード・ブラウンと、彼にはブラウン商会の跡取りで実の息子とその嫁がいるにもかかわらず、父と娘のように親しくつきあっている。
 エキゾチックな香りのする街、神戸を舞台に、レストランを奪おうとする荒木夫妻の策謀と闘う典子に花の降るような幸福な午後が訪れている。そして策謀は典子の努力はもちろんのこと、その知人で典子を息子の嫁にと望む貿易公司を営む中国人黄建明と彼の依頼でこの小説の表面に一度も登場せず解決を図る陰の人、林玉徳や店の主な従業員たちの努力で次第に解決に向かう。
 そして、典子と高見の恋は究極を迎える。高見はパリへの留学をめざす。典子はレストランをとるか、恋愛をとるか悩む。そして彼の作品を買うことでその学費を援助し、彼との恋は三年と自ら課した掟を楯に別れようとする。
 しかし、典子から離れてパリに行こうとした若い恋人は、典子の元に帰ってくる。
「坂道を見た。寒い夜だから、坂道のどこかに(高見が)立っているはずはないと思った。しかし、新しく出来たスナックの、けばけばしいネオンの余光がやっと届くあたりの、西洋館の角に、高見は立っていた。典子は、思わず、両手で口を押さえた。その光景を、うっとりと楽しんだ。息を、弾ませて、楽しみつづけた」「階段を降りていく音は、やがて消え、気味が悪いほどの静寂が訪れた」

(4)<愉楽の園>と<白い家>の意味すること
『花の降る午後』は<触発>の作家、宮本輝の本領を発揮する二つの絵画を下敷きにしてイメージが構成されている。
@<愉楽の園> この絵画はスペインの首都マドリードにあるプラド美術館にある。
 典子は高見からこの絵の存在を聞く。作者は初期ルネサンスの代表的画家ヒエロニームス・ボッシュである。そして作者宮本輝の声に対する評価は高見の言葉として語られる。この絵のモチーフは『花の降る午後』の中で→p.65参照、p.73で典子の思いとして反芻。P.69?p.70で典子の目を通して「愉楽の園」の細部を解説している。典子は思う。「ああ、このボッシュの<愉楽の園>は、おつにすました私の性器とその内部のようだ」と。作者は『花の降る午後』を刊行した翌年1989年に、このボッシュの<愉楽の園>をもとにそれをもっと浮かび上がらせて、水の都バンコクを舞台に、悪魔に魅せられて怪物と化した人びとの悲しく切ない倒錯の世界を描いた『愉楽の園』を別に書いている。しかし、宮本輝は娯楽作品のこの物語の中でも邪淫に興じる、蛇のような荒木たちとの闘争を書いて、悪に生きるものたちのおぞましい欲望と典子の心象風景を重ね合わせて描いているのはすごい。
    
「世界の美術館の旅」(小学館刊)の解説を引用して説明すると、この絵はボッシュの代表作で、中央の「愉楽の園」の左が「地上の楽園」を、右は「地獄」を描いている。性的快楽を象徴する奇妙で不思議なモチーフが画面全体にちりばめられ、「地獄」の悪魔的ヴィジョンが、快楽に溺れる人間に対して警告を発している。 ボッシュの幻想世界は、当時のことわざや暗喩を題材に、人間の愚かさを容赦なく描き出したことは、後世の画家に多大の影響を与えた。→例1:イチゴ→イチゴ絵→イチゴは爛熟した果物のもつ逸楽のイメージとだぶる。→例2:フクロウ→ボッシュの好んだモチーフのひとつ。英知の象徴としての側面と、淫乱、怠惰、大食の三拍子揃った悪徳の鳥としての側面を持つ。ここでは「地上の楽園」なので前者。

A<白い家>
 この<白い家>は、『花の降る午後』の冒頭の章名としても使われおり、この小説では重要な意味を持っている。それは<愉楽の園>に対する絵である。「モジリアニが風景画を描いたら、おそらくこのようなものになるだろう」「ひとけのなくて寂しいのに、妙に烈しさ」を持つ<白い家>は夫の短いしあわせな生活の思い出を抱きながら、懸命に生きる典子とレストラン「アヴィニョン」を隠喩していると同時に、この小説のテーマである「女のしあわせ物語」に対する作者の思いを表徴しているように思える。
 

(5)小説の舞台・北野町あたりその他

@フランス料理店・レストラン「アヴィニョン」は神戸・北野町にある。
「典子の営むフランス料理店アヴィニョンは、神戸の北野坂から山手へもう一段昇ったところにあり、右隣に黄建明貿易公司の事務所、左隣に毛皮の輸入販売を営むブラウン商会がならんでいる」
「くすのきの巨木が、風のない、よく晴れた午後の陽の中で、その葉をいやに黒ずませてそびえていた」
「涼風が、海に面してあけはなった窓から吹き込んで気や。ポート・タワーが見え、港に並ぶクレーンがかすんでいた」
「北野坂から上は、急な細い坂道だから、客はアヴィニョンのフランス料理を食べたくても、あの坂道を昇らないといけないのかと思うと、行き足がにぶる」
「ペルシャ美術館よりもさらに坂道を昇ったところにあるアヴィニョンへ行くためには、三ノ宮からタクシーに乗り、北野坂から北野通りへ出て右折し、不動坂とつながる道をさらに昇って行かなければならない。その道は車も通れる幅はあるが、二台がすれちがうだけの余裕はないので、タクシーの運転手の多くは、北野通りと不動坂との四つ角で車を停め、ここから上は歩いてくれと無愛想に言うのだった。典子でさえ、北野坂からアヴィニョンへの坂道は息が切れた」「日盛りの坂道」
「ぎらつく海の上には蜃気楼が出来、それは巨大なクレーンとも人間ともつかない幻を作っていた」
「窓は西向きだったが、少し離れた所に建っている「うろこの家」の三角屋根や、何本かのくすのきの巨木が、昼から夕暮れまでベールをかぶせてくれるからだった」
「典子は窓から港に視線を投じた。遠くの海はすでに冬の色をしていた」
「新しく出来たスナックの、けばけばしいネオンの余光がやっと届くあたりの、西洋館の角に、高見は立っていた」「鉛色の夜道と、西洋館の尖った鉄柵の長い影と、高見の黒い形を見やった」

A典子の散歩道

「アヴィニョンから不動坂を降り、北野坂に曲がって山手幹線の手前まで行き、思いきり足を上げて速歩で二往復することを日課にした」

B典子の実家

「典子は、王子動物園の西側を山手に昇ったところにある実家へ帰り、両親や兄夫婦のもとでゆっくりするつもりでいた」

C夫義直の実家

「岡本に住む義母」「国道四十三号線を降り、信号を曲がって阪神国道に入ると、そのまま山側への道を進んだ」「急な坂道には、閑静な住宅地がつづき、典子はその南のはずれの路地に車を入れた」

Dリード・ブラウンが入院した病院

「神戸市内の救急病院にいったん収容されたあと、リード・ブラウンは西宮の甲陽園からさらに六甲山を昇ったところにある静かな病院に移っていた」

E黄建明の家

「石屋川のほとりをやまてに進み、神戸大学の、学部別に幾つかの校舎が分かれて建ち並ぶ道をさらに昇った。

F北野中公園
 この公園は、「萌黄の館(白い異人館)」の東隣の広場である。小説ではジャーデン・マセソン商会(居留地83番館)がここにあったように書かれているが、これは間違いである。私が公園を設計したとき、神戸居留地83番から移築したものである。
p.176参照。

「「公園の横です。小さな公園……。公園の入り口に、ジャーデン・マセソン商会っていう門柱が立っているのです」そこは、かっての英国商会の跡地で、いまは門柱だけ残して公園になっているのだった」

G新藤ふみの家

 芦屋の山手で「見事な夜景がひらけた」

Hその他
 オリエンタルホテル、岡本の女子大、志摩、英虞湾、新神戸、静岡、元町、ポートタワー、三ノ宮センター街、芦屋、三ノ宮駅、北野坂、不動坂、春日野道、東京、バルセロナ、マドリード、南紀、上高地、北野界隈、京都のある有名なホテル、和歌山の海、神戸の夜の海、神戸港、六本木、神戸大学、阪神国道、王子動物園、大阪今里、日本橋香港、元町通り、須磨浦公園、西明石駅、長田区、ホテル・ニューキャスル、港に近い総合病院、堂島川、大阪駅

(6)登場人物

            ┌─岸辺令子─沼田美加

高見雅道─甲斐典子─甲斐義直─甲斐リツ……赤垣加世子─赤垣良久───梅沢宏子 

<従業員>                             │                                 

葉山直樹             松木かず子─松木精兵衛─山岡の妻─山岡健次

秋津修一                │   │        │

加賀勝郎        新藤ふみ─JEBの会  長男  荒木幸雄─荒木美沙

水野敏弘                         │   │└──┐

江見恭弥                  松木佐和子───┘     │

阿井吾郎                                

小柴運転手 

■ブラウン商会  リード・ブラウン ─ マイク・ブラウン ─ ジル・ブラウン

■黄建明貿易公司─黄建明─黄康順……林玉徳

              └─黄芳梅

■松木宝飾店─総務部長後藤栄吉 ■興信所─工藤 *客─須貝卓男

(7)物語の時代背景と書かれた時代背景
 この物語は1987年から1988年にかけて書かれた。物語の時代背景も書かれた時代背景も同じと思われる。日本の貿易黒字827億ドルに達し、バブルの最盛期であった。アメリカ上院は超党派で日本を敵対貿易国と規定していた。

(8)終わりにー<物語>の作家
 宮本輝というと物語作家と言われているが、その本質は何かを探る。彼は人間の生死や宿命を必然性あるいは普遍性を見いだして、人の生というべき物語を書きたい、と言っている。